ゴロ世界史

1989年 ベルリンの壁崩壊の語呂合わせ

1989年11月9日、東ドイツ政府が出国規制の緩和を発表すると、市民が一斉に検問所に押し寄せ、東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が事実上崩壊した。この年、ポーランドやハンガリーなど東欧諸国では相次いで共産党政権が倒れており(東欧革命)、壁の崩壊はその頂点だった。

12月には米ソ首脳がマルタ会談で冷戦の終結を宣言し、翌1990年に東西ドイツは統一、1991年にはソ連そのものが解体する。「1989壁崩壊・冷戦終結宣言 → 1990ドイツ統一 → 1991ソ連解体」の流れで覚える現代史のクライマックス。

みんなの語呂(3件)

「これで覚える」は1つの事象につき1つだけ選べます。選び直すと、そちらへ移ります。

  • 行く(19)ぜ、バク(89)破だ!ベルリンの壁

    編集部2026/8/27

    編集部選評

    この作者の句で、これほど前のめりな出だしは他にない。肉を食い、おでんを冷やし、誰が威張っているのかと問う——たいていは観察か感情から入っていた。ここでは行くぜ、と身体が先に出る。

    そしてそれが正しい。壁が開いたのは、誰かが決めたからではなかった。一九八九年十一月九日の夜、東ドイツの報道官シャボフスキーは記者会見で新しい旅行規制を発表し、いつから施行かと問われて手元の紙を読み違え、ただちに、遅滞なく、と答えてしまう。本来は翌日から段階的に実施するはずだった。それがテレビで流れ、市民が検問所へ押し寄せ、何の指示も受けていない警備兵が、押し切られる形でゲートを開けた。命令ではなく、人々の足が壁を越えた。行くぜ、という言い方以外に、あの夜を短く言う方法はない。

    ただし爆破はしていない。あの晩に壁を削ったのは、市民が手に手に持ったハンマーとつるはしである。彼らは壁の啄木鳥と呼ばれ、記念のかけらを叩き取っていった。重機による本格的な撤去は翌年からだ。

    それでも、この語を誤りだと切り捨てる気にはなれない。ハンガリーが西側への国境を開き、ライプツィヒで毎週のデモが膨れ上がり、何か月ぶんもの圧力が溜まりきっていた。それが報道官のたった一度の言い間違いで抜けた。爆発と呼んでよい出来事ではあった。

  • 壁を越えて行く、拍(1989)手の嵐

    編集部2026/8/26

  • 一(1)区(9)切り、白(89)黒ついた冷戦に

    編集部2026/8/26

語呂を投稿する

投稿すると利用規約(自作限定・禁止表現・投稿の利用許諾)に同意したことになります。

同じ頃の出来事