1757年 プラッシーの戦いの語呂合わせ
1757年、イギリス東インド会社のクライヴが、フランスと結んだベンガル太守シラージュ=ウッダウラの軍をプラッシーで破った。兵力では圧倒的に劣っていたが、太守の重臣を買収して戦わせなかったことが勝因で、正面からの決戦とは言いがたい勝ち方だった。ヨーロッパで進行していた七年戦争のインドにおける局面でもある。
この勝利でイギリスはベンガルの実権を握り、1765年にはムガル皇帝から徴税権(ディーワーニー)を獲得して、貿易会社が領土支配者へと変貌していく。インド植民地化の起点であり、1857年のインド大反乱、1877年のインド帝国成立へと続く線の一番上に位置する。南アジアで最も問われる年号のひとつ。
みんなの語呂(2件)
「これで覚える」は1つの事象につき1つだけ選べます。選び直すと、そちらへ移ります。
否(いな17)と言えず、粉(こな57)々にされたベンガル太守
編集部・2026/8/27
いいな粉(1757)まみれのふなっしー
編集部・2026/8/27
編集部選評
「粉」が57を担いながら、同時に「粉まみれ」という画を立てている。数字を取るための音が、そのまま情景の材料になっているのが巧い。ふつう語呂は数字を取った時点で音の役目が終わるが、この一句では終わらない。
ふなっしーでプラッシーを受けるのも周到で、聞き慣れない外国の地名を、誰もが知っている名前に預けている。梨の妖精の脱力が、インド植民地化の起点という重い主題を軽々と運んでしまう。粉まみれの黄色い塊が浮かんだら、もう1757は忘れられない。