ゴロ世界史

1905〜1911年 ベンガル分割令の語呂合わせ

1905年、インド総督カーゾンが発布した、ベンガル州をヒンドゥー教徒の多い西部とムスリムの多い東部に分割する法令。行政の便宜という名目だったが、狙いは宗教で線を引いて反英運動を割ることにあった。しかし結果は逆で、翌1906年の国民会議カルカッタ大会は英貨排斥・スワデーシ(国産品愛用)・スワラージ(自治獲得)・民族教育の4綱領を決議し、運動はかえって燃え上がる。

1911年、イギリスは分割令を撤回した。ただし同じ年に首都をカルカッタからデリーへ移しており、運動の中心地から統治の中枢を遠ざける形をとっている。またこの時期に全インド=ムスリム連盟(1906年)が結成され、ヒンドゥーとムスリムの分断はその後も尾を引いた。

みんなの語呂(2件)

「これで覚える」は1つの事象につき1つだけ選べます。選び直すと、そちらへ移ります。

  • ベンガル分割、ガルガル怒って(05)いいわけない(11)!

    編集部2026/8/28

    編集部選評

    「ガルガル」がベンガルの後ろ二音をそのまま繰り返している。地名の一部を切り出して擬音に変える手つきで、しかも切り出した「ガル」は、唸り声を表す語として日本語にもとから居場所がある。**地名の断片が、そのまま感情の音になった。**変換の労力がほぼゼロで、それでいて怒りの絵が立つ。

    数字は「怒って」の おこ で05、「いいわけない」の いい で11。どちらも下二桁だけを取り、19は句の外に置いている。二つの年が同じ十年台の内側にあるので、片方が決まればもう片方も同じ世紀だと分かる——という寄りかかり方をしている。

    眼目は「いいわけない」の二重性だろう。**良いわけがない**という否定であり、同時に**言い訳がない**とも読める。そして史実はその両方に当たっている。宗教で線を引いて反英運動を割るという意図はあまりに露骨で、行政の便宜という説明は通らなかった。そして実際に運動は燃え上がり、六年後に撤回された。**撤回された年の数字を、撤回の理由が担っている。**

    留保をひとつ。誰が誰を分けたのかが句にない。カーゾンもヒンドゥーもムスリムも出てこず、「ガルガル怒って」は怒った主体さえ言わない。この法令の急所は宗教で分断を図った点にあり、そこが問われるのだが、句が運ぶのは事件名と二つの年だけである。撤回で終わった話にも見えてしまうが、実際には全インド=ムスリム連盟の結成もこの時期で、分断はその後も残った。

  • 行(19)くぞ丸(0)ごと(5)スワラージ、分けられたベンガルの怒り

    編集部2026/8/28

語呂を投稿する

投稿すると利用規約(自作限定・禁止表現・投稿の利用許諾)に同意したことになります。

同じ頃の出来事