1870年 プロイセン=フランス戦争(普仏戦争)の語呂合わせ
1870年、スペインの王位継承問題をきっかけに、ビスマルクが電報の文面を書き換えて世論を煽り、フランスを開戦に追い込んだ戦争。緒戦のスダン(セダン)の戦いでナポレオン3世が捕虜となってフランス第二帝政は崩壊し、プロイセン軍はパリを包囲した。
包囲のさなかの1871年1月、プロイセン国王ヴィルヘルム1世はヴェルサイユ宮殿の鏡の間でドイツ皇帝に即位し、ドイツ帝国が成立する。敗れたフランスは賠償金とアルザス・ロレーヌの割譲を課され、これが以後半世紀の独仏対立の火種となった。デンマーク戦争(1864年)・普墺戦争(1866年)に続く、ビスマルクの三つ目の戦争である。
みんなの語呂(2件)
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いや(18)、涙(な・7)を(0)のむナポレオン3世。スダンで捕虜、第二帝政おわる
編集部・2026/8/28
プロ(プロイセン)は慣れ(870)てる、ふふん(普仏)!
編集部・2026/8/28
編集部選評
は で8、な で7、れ で0。れい の頭一音を0に使う手つきが速い。三音で三桁を取りきっていて、しかも「慣れてる」という日常の語のなかに数字が完全に溶けている。数えている気配がまるでない。
「ふふん」の二役が効いている。**普仏 という二字を呼ぶ音でありながら、同時に鼻を鳴らす擬音でもある**。しかもその鼻の鳴らし方が、句の前半の「慣れてる」という態度とぴたりと合う。数字を運ぶ語、事件名を運ぶ語、感情を運ぶ語——三つの役割が四音のなかで重なっている。
そして「慣れてる」が史実そのものだった。プロイセンにとってこれは**三度目の戦争**である。1864年にデンマークと戦い、1866年にオーストリアを破り、そして1870年にフランスへ向かった。ビスマルクが鉄血政策のもとで順に片づけていった三つの戦争の、最後の一つだ。慣れているどころか、二度の勝利で手順まで出来上がっていた。開戦の口実さえ、電報の文面を書き換えて自分で作っている。
留保をひとつ。この戦争がなぜ重いのかは句の外にある。ナポレオン3世が捕虜になって第二帝政が倒れたこと、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間でドイツ帝国の成立が宣言されたこと、アルザス・ロレーヌの割譲が半世紀の独仏対立を生んだこと——句が運ぶのは年と当事国だけで、結果には触れない。もっとも、これは同じ流れに属する句と役割を分けたとも読める。
この事象は「ドイツ統一の流れ」の一部です
デン墺仏、勝ってドイツ
- プロイセン=フランス戦争(普仏戦争)
- →ドイツ帝国の成立