ゴロ世界史

1869年 スエズ運河の開通の語呂合わせ

1869年、フランス人レセップスの指導で建設された、地中海と紅海を結ぶ運河が開通した。それまでヨーロッパからアジアへ向かう船は、アフリカ南端の喜望峰を回るしかなかった。地峡を切り開いたことで航路は劇的に短縮され、ヨーロッパとアジアの距離が一変する。

ただしエジプトは巨額の建設費で財政が破綻し、1875年に運河会社の株をイギリスへ売り渡した。これがイギリスによるエジプト支配の足がかりとなり、のちのウラービー運動(1881〜82年)と保護国化へつながっていく。「1869年開通 → 1875年イギリスが株買収 → 1882年エジプト事実上の保護国化」の流れで問われる。1956年のナセルによる国有化とスエズ戦争も同じ運河の話である。

みんなの語呂(2件)

「これで覚える」は1つの事象につき1つだけ選べます。選び直すと、そちらへ移ります。

  • ハム食(はむく・869)ってて吸えず(スエズ)。開通

    編集部2026/8/28

    編集部選評

    は で8、む で6、く で9。「ハム食ってて」という口語の頭三音が、そのまま三桁になっている。食べ物の名と動詞がつながっただけの言い回しなので、どこが数字なのか見当がつかない。

    「吸えず」で スエズ を呼ぶ。すえず と スエズ は同じ三音で、濁点の位置まで揃っている。**ほぼ完全な同音**である。そのうえ「吸えず」は前半から自然に出てくる帰結でもある。口にハムが詰まっているから吸えない——因果が一行のなかで閉じているので、地名を呼ぶ語が文の流れの必然として現れる。取ってつけた感じがどこにもない。

    そして句の並びが、運河そのものの形をしている。**吸えず——そして開通。**塞がっていたものが通るようになる、という順序である。地中海と紅海のあいだには地峡があって、ヨーロッパからアジアへ向かう船は喜望峰を回るしかなかった。その塞がりを切り開いて通したのが、この運河だ。細い管を液体が通る、という絵も運河に近い。**塞がりから開通へという二語の運びが、この事業の中身を写している。**

    留保をひとつ。誰が作ったのかも、どことどこを結んだのかも句にない。「開通」の二字は結果だけを告げる。そして開通のあとの展開——建設費でエジプトの財政が破綻し、1875年にイギリスが運河会社の株を買い取ってエジプト支配の足がかりにした——という、入試でよく問われる続きにも触れない。運河は通ったが、通ったあとに何が起きたかは句の外である。

  • 嫌(18)な遠回りが無(む・6)く(9)なる、地中海と紅海を結んだスエズ運河

    編集部2026/8/28

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