1962年 キューバ危機の語呂合わせ
1962年10月、ソ連がキューバに建設していたミサイル基地をアメリカの偵察機が発見し、ケネディ大統領が海上封鎖で対抗した。射程内にアメリカ本土が入る位置であり、米ソが核戦争の瀬戸際まで進んだ13日間となる。最終的にフルシチョフが基地の撤去に応じ、アメリカはキューバへ侵攻しないことと、トルコからミサイルを撤去することを約束して収まった。
この経験は米ソを軍備管理へ向かわせる。翌1963年にはモスクワとワシントンを直接つなぐホットラインが設置され、大気圏内・宇宙空間・水中での核実験を禁じる部分的核実験禁止条約が結ばれた。「1962年キューバ危機 → 1963年ホットライン・部分的核実験禁止条約」と続けて押さえたい。
みんなの語呂(2件)
「これで覚える」は1つの事象につき1つだけ選べます。選び直すと、そちらへ移ります。
海上封鎖の13日、無(む・6)言でに(2)らみ合う米ソ。翌年ホットライン
編集部・2026/8/28
きゅうばん(キューバ)バッター、むっつり(62)聞き耳(危機)を立てる!
編集部・2026/8/28
編集部選評
九番 で キューバ を呼ぶ。きゅうばん と キューバ は、ん の一音を足すか引くかの違いしかない。打順の番号がそのまま国名になっていて、しかも野球という場が一行ぶん最後まで持続する。
「聞き耳」が 危機 を担う。きき という二音の同音だが、置き方が巧い。**耳 の一字を添えたことで「聞き耳を立てる」という慣用句になり、同音であることが表に出ない。**数字を隠す工夫はよく見るが、事件名を慣用句のなかに隠した例は珍しい。数字のほうは「むっつり」の む と つ で62を取る。
そして、この句は事件の中身まで写している。**この危機は、見ることと聞くことの13日間だった。**発端は偵察機がミサイル基地の写真を撮ったことであり、その後は両首脳が互いの言葉を必死に読み合う日々が続いた。そして危機のあとに引かれたのが、モスクワとワシントンを直接つなぐホットラインである。**聞き耳を立てる、という所作が、事件の入口から出口までを貫いている。**むっつりと黙って耳をそばだてる姿は、封鎖線を挟んで睨み合った両国そのものだ。
留保をひとつ。62の二桁だけで、19は句の外にある。それ以上に、句の場面が野球で完結しているため、核も、ソ連も、ミサイルも一切出てこない。キューバと危機と年は届くが、何の危機だったのかは句からは分からない。慣用句にうまく隠したぶん、隠れたまま出てこない情報もある。
同じ頃の出来事
- 1939年 独ソ不可侵条約
- 1939年 第二次世界大戦の勃発
- 1944年 ブレトン=ウッズ会議
- 1946年 フィリピンの独立
- 1948年 ビルマの独立とネ=ウィン時代
- 1949年 中華人民共和国の成立
- 1949年 NATO(北大西洋条約機構)の結成
- 1950年 朝鮮戦争
- 1956年 ハンガリー動乱(ナジ=イムレの処刑)
- 1956年 ポーランドの十月(ゴムウカの復帰)
- 1960年 アフリカの年
- 1963年 アフリカ統一機構(OAU)の結成
- 1965年 ベトナム戦争へのアメリカの本格介入
- 1967年 ASEAN(東南アジア諸国連合)の結成
- 1969年 ニクソン政権(訪中から辞任まで)
- 1973年 第4次中東戦争と第1次石油危機
- 1978年 日中平和友好条約
- 1989年 ベルリンの壁崩壊
- 1989年 マルタ会談(冷戦の終結)
- 1991年 湾岸戦争